何に向いてるとか、向いてないとか

選ぶ権利って私たちにあるのか
社会人になったら、やりたくないこともやらなきゃならないことがあると思う。
そういう時に、
「私向いてないんで」
って言えるわけない。
お金を頂いて、ある意味、「自分の価値」を買ってもらってるのに、選んでなんかいられるのかな。
けれど、実際に働き始めて与えられた仕事にたいしてそういうことを言える人もいるらしい。
最終的に向いているか向いていないかを決める権利は企業にあると思う。
自己分析をして、それが企業のそれとマッチしなかったら、不満を感じてしまうのでは?
それなら下手に自己分析なんかしたくないよーー!
けどそういうことが起こらないようにするのか。
それに就活の慣習としてそういうことをしなければならないのはわかっているからするけどさ。
就活就活って、ばからしい!
けどシューカツ、やらなきゃいけないからやるけどね。いつか。

世の中に、この新卒信仰とか、通過儀礼的としての就活とか、疑問に思ってる就活生はどのくらいいるのだろう。
ちょっと、こんな就活、変って思ってる人はいるのかな?
「私は○○です!」って変な物に例えて、奇を衒う人、いるのか?

「私は、USBコネクタの様な人間です!」「私は、画鋲のような人間です!」とか、

あほか。